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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)4525号 判決

原告 高島豊

右法定代理人親権者父 高島良男

同母 高島キヨ

〈ほか二名〉

右原告三名訴訟代理人弁護士 草島万三

被告 小松建設工業株式会社

右代表者代表取締役 松波重文

被告 大気冷熱工業株式会社

右代表者代表取締役 杉本欣哉

右被告両名訴訟代理人弁護士 松本一郎

主文

一  被告らは各自原告高島豊に対し金一〇〇万円、原告高島良男に対し金二九万四一四七円、原告高島キヨに対し金二〇万円及び右各金員に対する昭和四八年六月二四日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決の第一項は、各被告に対し、原告高島豊において金二〇万円、原告高島良男、原告高島キヨにおいてそれぞれ金五万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

五  各被告において、原告高島豊に対し金四〇万円、原告高島良男、原告高島キヨに対しそれぞれ金一〇万円の担保を供するときは、右各仮執行を免れることができる。

事実

(申立)

原告らは、「被告らは各自原告豊に対し金五〇〇万円、原告良男に対し金一三〇万八七八八円、原告キヨに対し金一〇〇万円及び右各金員に対する昭和四八年六月二四日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告らはそれぞれ「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

(主張)

原告らは、その請求の原因として、

「一 事故の発生

原告豊は昭和四七年一一月二三日午後一時頃訴外池田光宏(当時四歳)とともに東京都江東区住吉一―一五附近の四階建アパート建築工事現場で遊んでいた際、偶々同所に放置してあった硬質塩化ビニール管用接着剤エスロンの缶を拾ったので、これを近くにあった焚火の傍に持って行ったところ、突然右エスロンに引火して焔を吹上げた結果、顔面、右耳介、頸部に熱傷潰瘍の障害を受け、後遺症として顔面に熱傷後瘢痕による醜状を呈する変形が残っている。

二 責任原因

1  被告小松建設は訴外株式会社精進商店から注文を受けて前記四階建アパートの建築を請負っているものであり、被告大気冷熱がその給排水配管工事を下請しているものである。

2  原告豊が拾った前記エスロンの缶は、被告らが請負った建築工事のために使用していたものである。接着剤エスロンは引火性が強く、有害なものである。それ故、使用後は缶を必ず密栓して冷暗の場所に保管し、特に幼児のいたずらに十分注意すべきことが要求されている。しかるに、被告らの従業員は接着剤エスロンが未だ残存している缶を漫然と附近に放置して、子供が容易にいたずらできるような状態にした過失があり、これによって同原告が取返しのつかない損害を受けた。被告らの従業員が右のように缶を放置したことは、被告らの事業の執行につき生じたものである。

3  被告小松建設は建築現場に作業乃至現場監督事務所を設置しながら、被告大気冷熱を直接指揮監督している。被告大気冷熱もまたその取締役小関昭男、杉本茂らが右事務所を利用して、工事用の接着剤等用材を保管しながら作業をしている。

4  よって、被告らは民法第七一五条、第四四条に基づき損害賠償責任がある。

三 損害

1  原告豊は昭和三九年生れで、右受傷当時小学校二年生の児童であって、その顔面等に残った醜状は想像を絶するものであり、これからの長い将来における入学、就職、結婚等に重大な障害となるばかりか、性格形成にあたっても好ましからざる影響を与えることは明らかである。これらの諸般の事情に照して同原告の慰藉料は金五〇〇万円が相当である。

2  原告良男は原告豊の父、原告キヨは母であるが、原告豊のこれからの人生を思えば父母の心情察するに余りある。その他諸般の事情に照して原告良男、原告キヨの慰藉料はそれぞれ金一〇〇万円が相当である。

3  原告良男は原告豊が江東病院、警察病院で形成外科治療を受け、これまでだけでも治療費として金三〇万八七八八円を支払った。

四 よって、被告ら各自に対し、原告豊は右慰藉料金五〇〇万円、原告良男は右慰藉料と治療費合計金一三〇万八七八八円、原告キヨは右慰藉料金一〇〇万円と右各金員に対する不法行為の後たる昭和四八年六月二四日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による金員の支払を求める。」

と述べ、被告らの抗弁に対し、「抗弁事実は争う。」と述べた。

被告らは、答弁として、

「一 請求原因一の事実中原告豊の拾ったエスロンの缶が原告ら主張の建築現場に放置してあった事実は否認する。その余の事実は知らない。

二 同二の1の事実は認める。原告ら主張の建築工事は既に完成して終了していた。同2の事実は否認する。同3の事実中原告ら主張の建築現場附近に被告小松建設の現場作業所があったことは認めるが、その余の事実は否認する。

三 同三の事実は知らない、その主張は争う。」

と述べ、抗弁として、

「仮りに、本件事故につき被告らに責任があるとしても、原告豊は本件事故当時満八歳の小学校二年生であり、事理を弁識するに足る知能を具えていた。そうだとすると、本件建築工事現場が危険であり、立入ってはならないこと、ベンジン性の臭気の強い液体が引火し易いことを十分認識している筈であり、また所謂子供の火遊びが一般に危険なことも承知している筈である。それにも拘らず、接着剤が三分の一弱も残っている缶を持出し、これに点火しようといういたずらを敢て行ったことは、まさに同原告の重大な過失である。のみならず、実父母たる原告良男、同キヨがかねがね工事現場への立入りや火遊びについて原告豊に十分な注意を与えていなかった過失もあるというべきである。

従って、損害賠償額算定にあたっては、原告豊の過失と、原告良男、同キヨの過失をも斟酌すべきである。」

と述べた。

(証拠)≪省略≫

理由

一  事故の発生

≪証拠省略≫を総合すると、原告豊が昭和四七年一一月二三日午後一時頃東京都江東区住吉一―一五附近の空地において、接着剤の缶を焚火の傍に持って行ったところ、突然右接着剤に引火して焔を吹上げ、顔面、右耳介、頸部に熱傷潰瘍の傷害を受けたことを認めることができ、これに反する証拠はない。

二  責任

1  先ず、右事故の原因について検討する。本件においてはその詳細は必ずしも明確とは言い難い。即ち、≪証拠省略≫によれば、本件事故の原因態様の詳細を直接知る者は原告豊とその際傍に居た池田光宏のみであって、他に目撃者が居なかったのであるが、同原告らは入院治療中であったことや、右接着剤を弄んだことにつきシンナー遊びとして叱責されることを惧れ、その真相を容易に話そうとはしなかったことで原告良男は見当がつかなかったところ、翌四八年二月頃に至って漸く原告豊から本件事故時の模様を話されたので、本件事故後三ヶ月位経って調査に乗出したことを認めることができるからである。

しかし、前記空地附近に被告小松建設の作業乃至現場監督事務所があったことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫を総合すると、原告豊は右空地附近で遊んでいた際、右事務所裏の空地に放置してあった硬質塩化ビニール管用接着剤エスロンの缶を拾ったが、まだ三分の一程溶液が残っていたにもかかわらず、これを焚火にかざしたとき本件事故が発生したことを認めることができる。

≪証拠省略≫中には右認定に反して同原告が拾ったのはエスロンでなくボンドの缶であったとか、あるいは被告小松建設の事務所裏でなく右空地附近の加瀬工務店施行の建築工事現場附近であったとかの部分がある。確かに≪証拠省略≫によれば、右焚火の位置からすれば、同被告の事務所裏よりも加瀬工務店の建築工事現場の方が近いことを看取できるけれども、唯これだけの事実をもって、同原告がそちらから拾ってきたのではないかということは、単なる推測に過ぎず、到底これだけで右認定を覆えすことはできない。また≪証拠省略≫によれば、本件事故後消防署員が右の缶を「ボンド接着剤」と記録したことが認められるが、同時に右証拠によれば、ボンドなる名称は商品名としてでなく、強力な接着剤一般を指称する意味で使用されていることもまた認められるので、これをもって右の缶がエスロンであることを否定する資料とし難い。

2  被告小松建設が訴外株式会社精進商店から注文を受けて前記空地附近に四階建アパートの建築を請負っているものであり、被告大気冷熱がその給排水配管工事を下請していること、被告小松建設が前記事務所を設置していることは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫を綜合すると、

(一)  エスロンは硬質塩化ビニール管用接着剤であって、番号「七〇」(オレンジ色の缶)、「七三」(青色の缶)、「七五」の種類によって粘度に若干の差はあるものの、速乾性で接着力の強いものであるが、それだけに引火性があるので火気厳禁となっており、またその蒸気を大量に吸うと有害なので、使用後はその缶を必ず密栓し、冷暗所に保管すべく、缶の表面は幼児のいたずらを防止するよう注意の表示があること、

(二)  被告大気冷熱は水道管の接着にエスロンを用いていたが、溶液が揮発性のため、使用後はそのまま放置していても、残液が短時間のうちに揮発して乾燥してしまうので危険がないものと考え、接着剤使用の現場にエスロン缶を放置したまま、次の現場へ進み、放置した缶は後でまとめて片附けていたこと、ただ本件事故を知った後は缶とこれに附属する刷毛とを分けて、セメント袋に入れ捨てるようになったこと、

(三)  同被告会社はその現場責任者である訴外小関昭男の指揮で同被告会社の職人が働き、同訴外人やその職人はまた被告小松建設の監督者の指揮監督を受けて配管工事を進めていたこと、そのため被告小松建設の前記事務所を被告大気冷熱も事務所として使用していたこと、

(四)  被告会社らは本件工事現場の周囲には繩を張って、関係者以外の出入を禁止していたこと

を認めることができる。

≪証拠省略≫中被告大気冷熱が使用していたエスロン缶は、そのうちでも「七三」の番号のついた種類(青色の缶)だけであって、原告豊のいうオレンジ色の缶(「七〇」の番号のついた種類)を使用したことはないとか、片附は常に行っていたとかの部分は、前掲証拠と対比して採り難く、また右各証言中本件事故当時前記建築工事は既に第一期工事については社内検査の直前であり、第二期工事については基礎工事中であったからエスロンを使うような工事はなかった旨の部分があるが、これだけで右認定を左右するには十分でないばかりか、≪証拠省略≫によれば、本件事故当日は祭日であったにも拘らず、被告大気冷熱は本件工事現場で稼働していたことが窺われるので、これに照しても前記証言を採用することはできない。

3  右認定の事実関係に基づいて考えるに、エスロンなる接着剤は引火し易い危険物であって、その取扱には厳重な注意を要すべきものといわなければならないところ、被告大気冷熱の従業員がエスロン(缶)を使用した後、その残存溶液の乾燥したことを確認しないまま、幼児児童の手の届くところに放置していたことは、かかる危険物を取扱う者の過失と評価せざるを得ない(因みに、本件のエスロンが消防法に定める危険物に該当すると見得るところ、東京都火災予防条例昭和三七年条例第六五号の第三〇条第九号には、「危険物又は危険物のくず、かす等を廃棄する場合は、下水、河川等に投棄することなく、その性質に応じ、焼却、中和又は希釈する等他に危害又は損害を及ぼすおそれのない安全な方法により処理すること」と規定されている)。このことは、たとえ本件工事現場が関係者以外の立入を禁止した場所として繩張りしていたとしても、これが原告ら主張のように建築基準法施行令第一三六条の二の規定に反するかどうかは特に本件において問題にするまでもないが、これだけでは休日あるいは昼休みに幼児らの出入を防止するには十分でなかったというべきである。そして、右のエスロンの取扱が被告大気冷熱の事業の執行であることは明らかであるから、同被告はその従業員の過失によって生じた本件事故につき民法第七一五条第一項の規定による責任があるといわなければならない。

のみならず、前記認定事実によれば、被告大気冷熱は被告小松建設から給排水管工事を下請し、該工事に関しては被告小松建設の現場監督者の指揮監督に服していたのであるから、被告小松建設もまた同条による責任を免れることはできない。

4  勿論、現に建築工事施行中の工事現場、就中工事関係者以外の立入禁止を表示した場所へみだりに立入ること、また揮発性の強い臭気をもつエスロンの缶をいたずらに火にかざすことは火傷事故につながるものとして厳に避けるべき事柄であって、≪証拠省略≫によれば原告豊が昭和三九年一一月一二日生であることが認められるので、本件事故当時は満八歳(小学校二年生)に達していたことになり、この年令の児童ともなれば事理を十分弁識し得るものというべきである(現に、前示のように同原告は本件事故につき自らの落度を自覚して、叱責されることを惧れていたことが窺われる)。それにも拘らず、同原告がこれに反した行動をとったことは、同原告の重大な過失と断ずるほかないが、これらは被害者の過失として損害賠償額の算定にあたって斟酌するに止り、被告らの前記過失を否定するものではないといわなければならない。

三  損害

1  原告豊

同原告が昭和三九年一一月一二日生で本件事故当時小学校二年生の児童であったことは前示のとおりであり、≪証拠省略≫を綜合すると、原告豊は前示熱傷により本件事故直後から昭和四八年一月一〇日まで江東病院に入院して治療を受けたが、後遺症として熱傷を受けた部分、特に顔面に瘢痕拘縮があったため、昭和四八年一月一二日から同月二六日まで、同年三月二八日から同年四月六日まで、同年七月四日から同月一四日まで、同年九月七日から同月一七日まで、昭和四九年一月二九日から同年二月七日まで及び昭和五〇年三月一二日から同月一九日まで東京警察病院において植皮手術を受け、その他にも診療を受けた結果、一応機能障害は取除かれたとはいうものの、なお顔面は醜状を呈しているため、今後更に美容的形成外科手術を施す必要があること、それも一度に集中的に行うことができず、少しづつ分けて行うほかないのであるが、それでも後遺症状を消去することはできないこと、同原告は顔を衆目にさらすことを恥じ、通学をも躊躇していることが認められ、これに反する証拠はない。これらの事実に徴するとき、本件事故によって同原告の受けた肉体的精神的苦痛が甚大なものであることは容易にこれを推認できるところである。そこで、その慰藉料額について考えるに、前示のとおり本件受傷の部位程度、治療経過、今後の見通し、後遺症の部位程度、将来における学業就職、結婚等につき制約を受けるであろうこと、本件事故発生についての被告らの過失の程度及び同原告の過失の程度、同原告の年令、家庭環境等その他本件に現れた一切の事情を斟酌すると、慰藉料額は金一〇〇万円が相当である。

2  原告良男、同キヨ

(一)  ≪証拠省略≫によれば、原告良男が原告豊の父、原告キヨが母であることを明らかに認めることができるので、右原告両名が本件事故による原告豊の受傷のため心痛し、その将来を案ずるにつけ今後とも苦労が絶えないであろうことは容易に推認できる。そして、この精神的苦痛は本件事故によって原告豊の生命が侵害された場合に比して著しく劣るものではないということができるので、前示のような本件に現れた一切の事情を斟酌すると、原告良男、同キヨの慰藉料額はそれぞれ金二〇万円が相当である。

(二)  原告豊が前示のように治療を受けたことにつき、≪証拠省略≫によれば、原告良男がその治療費等として江東病院に金九万八九〇円、東京警察病院に金一八万四三五〇円を支弁したことが認められる。前示治療のうち昭和四八年九月七日から同月一七日までの分については、幾何の支出があったかを認むべき証拠はない。しかし、本件事故につき被害者たる原告豊にも重大な過失があったことは前示のとおりであるから、原告良男の支弁した右治療費のうちその三分の二を減じた金九万四一四七円が同原告に生じた損害と見るのが相当である。

四  してみると、被告らは各自原告豊に対し金一〇〇万円、原告良男に対し金二九万四一四七円、原告キヨに対し金二〇万円と右各金員に対する本件不法行為の後たる昭和四八年六月二四日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるから、これを認容すべきであるが、その余は理由がないので棄却すべきである。よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行及びその免脱の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 富田郁郎)

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